ボルボの歴史

北欧を代表する自動車メーカーとして、国内にも熱烈なファンをもつボルボ。その洗練されたデザインと、驚異的な走行性能には、驚かされることばかりです。ボルボが誕生するきっかけとなったのは、二人の天才の偶然の出会いです。

二人の天才の偶然の邂逅

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1924年肌寒い北風が吹き抜けるスウェーデンの首都ストックホルム。ストックホルム駅前のカフェで、アッサール・ガブリエルソンが電車を待つために並んでいた一人の男に声をかけます。この男こそ、グスタフ・ラーソンその人です。ボルボを創立した二人の男たちの偶然の出会いから、彼らの途方も無いシンデレラ・ストーリーが展開していくことになるとは、誰も想像できないものでした。
ちなみに、伝記では、二人の出会いは完全なる偶然の産物だったとされていますが、ボルボの社史研究者の中には、ガブリエルソンがラーソンに声をかけるチャンスを伺っていたという説を唱える者もいます。二人には、「世界に通用するスウェーデン製の車を作る」という共通の夢がありました。
アッサール・ガブリエルソンは、1881年、スカラボリ地方のコルスベルヤで卵商人を営む一家に生まれました。ストックホルム大学で経済学を学び、スウェーデンで最大のベアリング会社SKFに入社します。SKFでは、20代という若さにもかかわらず、子会社の社長を任されるほどの能力の高さを見せています。ガブリエルソンは、当時の自動車王国アメリカ製のボールベアリングよりも、スウェーデン製のほうが安くて品質も良いことに気づきました。この発見が、ボルボ創設の大きなヒントになったと後に語っています。

創業に至るまでの経緯

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一方、ラーソンは、1887年オレブロ郊外のウィントローザという小さな田舎町で、農家の末っ子として生を授かりました。子供のころから機械に強い興味を惹かれていたラーソンは、オレブロ大学で機械工学を学びます。その後、イギリスで自動車設計の仕事に携わり、次第に自分で自動車の設計をやってみたいという夢を募らせていきました。そして、二人は運命に導かれるようにして、1924年にストックホルム駅前で、出会うことになります。
1926年6月には、早くも最初のプロトタイプ車の完成にこぎつけています。このプロトタイプ者に乗って、ガブリエルソンとラーソンらがイエテボリまでドライブを楽しんだことが記録に残っています。最初のプロトタイプ車を、ガブリエルソンが勤めていたSKF社の幹部たちに紹介すると、幹部たちは一様にその完成度の高さと、将来の可能性を認めることになりました。SKFの子会社で、当時休眠状態にあったボルボとい子会社で、本格的に自動車を作ることを決定したのです。会社創立時に作られたプロトタイプ車は、合計で10台あります。そのうちの1台は、今でもイエテボリ工業博物館で、大切に保管されています。

いよいよ量産化、そして世界ブランドへと

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苦労した結果、1927年にようやく量産車の販売が始まりました。オープン・モデルはOV4、サルーン・タイプはPV4という名前が付けられています。しかし、発売当初には、その評判は決してはかばかしいものではありませんでした。当時スウェーデンでも人気だったのはアメリカ車。柔らかいフォルムと、明るいカラーは、人々の心を捉えていました。ボルボの短いボンネットや男性的で、力強いフォルムの魅力に気づく人は、最初のうちあまりいませんでした。
しかし、翌年になって、ボルボ社はPV4に大幅なモデルチェンジを行いました。結果的に、この大胆なモデルチェンジが、その後の成功へのターニングポイントとなったのです。また、1928年に生産を開始したトラックの売れ行きが好調だったことも、会社の経営の安定に寄与しています。1920年代から1950年代にかけて、ボルボの生産台数のうち、トラックが大きな割合を占めています。国内で大評判となったトラックは、ヨーロッパ各国へと輸出されるようになり、ボルボの名声を次第に高めることに繋がっていきます。
お洒落で洗練されたイメージの強いボルボが、実はトラックで有名になったというのはおもしろいですよね。